蟹退治日記 (神経内分泌がん治療記)

ドイツでの神経内分泌がん治療の日々を通して見たこと聞いたこと考えたことを綴っていきます。

伝える (2)

 『伝える (1)』の続き

 

  •  両親、兄、妹達

子供達への説明はそれなりに覚悟は要ったが、自分の両親への説明はそれ以上だった。どちらも元気だが、もう70過ぎの老人だ。余計な心配をかけたくはなかった。

いざ電話で伝えると、母の反応は思っていたよりも落ち着いていた。逆にこちらに心配をかけまいとしたのかもしれない。「しっかり治して、いつか顔を見せて頂戴」と言われた。もとよりそのつもりだ。

 

人工肛門になるかもしれない、と言うと、母は「渡哲也を見なさい。昔から人工肛門で俳優業を立派にこなしているんだから。何とかなるわよ」

こんな風にして渡哲也の存在に勇気づけられた人は今まで沢山いたに違いない。そう考えると、渡哲也の真の格好良さとは、角刈りサングラス姿にあるのでは無く、人工肛門のカミングアウトにあるのだ。

 

ついでに気になっていた事を母に訊いてみた。

親戚に誰か癌にかかった人って居たっけ?すると、誰もいないと即答された。なんと私は一族で初の癌患者らしい。別段嬉しいことではない。

 

それから電話を父に代わってもらった。母の横で会話を聞いていた父は、開口一番「健康管理が甘かったんじゃないか?」と私を叱った。不摂生な生活を送っていたわけでも無いので、そう言われても困る。父に叱られるなんて子供の頃以来だ。今や40半ばのおじさんをつかまえてと可笑しくなったが、心配あまって、というところだろう。そのあとは一気にトーンダウンして、とにかく早く治せよとの事だった。

 

この電話の後で私はぐったりしてしまった。それで兄と二人の妹達には手を抜いてメールで連絡を済ませて、後日電話で話をした。やりとりの詳細は書かないが、遠くに暮らしてはいても兄妹というのはありがたいものだと思った。

 

いや、むしろ遠くに暮らしているが故にしがらみがないのがいいのかもしれない、とも思う。ドイツ人を含めて私の周りで兄弟で仲違いしている人達はざらにいる。いろんな理由があるのだろうが、特にカネがらみ、遺産がらみによる仲違いの話にはうんざりさせられる。私は子供達にカネを残すまい。頑張っても残せそうにないのだが。

 

  • 日本の友人達

 一番最後に連絡したのはこのグループ。もとより何かの機会にたまに連絡を取るくらいなので、緊急度は低い。異常を感じたらためらわずに医者に行けよと皆に伝えた。私と同年代なので、もう若くは無いのだ。「また会おう」が合言葉。