蟹退治日記 (神経内分泌がん治療記)

ドイツでの神経内分泌がん治療の日々を通して見たこと聞いたこと考えたことを綴っていきます。

婦長の太鼓判

  • 手術から13日目。

私はほとんど手のかからない患者になっていた。点滴も外れたし、トイレにも自分で行く。歩行トレーニングも順調で、階段の上り下りもする。見舞いに来ていた妻が、次の週末を待たずに退院できるのでは?と看護婦さんに訊くと、婦長さんに相談してみるとの事だった。

 

婦長のDさんは有能なホテルの支配人という感じの人で、この人が居ればいろんな事は円滑に行った。有難いのは、患者目線で物事を考えてくれるところだった。私は彼女に全幅の信頼を寄せているので、彼女の判断に任せることに異存は無かった。

 

婦長からの回答を待っている間、60代半ばの一人の男性が私の病室に運ばれてきた。長らく一人部屋状態だったが、それも終わりだ。

 

その新しい同室者はBさんといい、やはり癌患者だった。大腸から始まり、肝臓、肺と転移して2年間闘病生活を送っていると言う。今回の入院は抗がん剤の副作用でダウンしてしまったからだ。嘔吐、下痢が続き、体力的に衰弱しているとの事だ。それでも、陽気さを失わず、闘病の意思は今もしっかりと持っているようだった。

 

Bさんを見て、癌治療の難しさについて改めて考えさせられた。私は抗がん剤に反対するものではない。確立は低くても、回復のチャンスがあればやるべきだと思っている。しかし、抗がん剤で体力を失い免疫力が低下することもある。そうなると逆効果で、癌は勢いを増すだろう。では、どこで抗がん剤をやめるべきなのか?明確な線引きは難しい。抗がん剤が最後の手段だった場合にはなおさらだ。

 

自分だって近い将来Bさんと同じ境遇に陥るかもしれない。その時に私は自分で判断を下せるだろうか?

 

などと考えていると、M女医がやってきた。婦長と相談した結果、明日には退院しても良いという。つまり、5-6日あった入院予定が一気にあと1日になったのだ。劇的な短縮だ。M女医はちょっと早すぎるのではと思ったらしいが、看護婦、婦長は、このところの私の回復ぶりを見て、大丈夫と太鼓判を押したらしい。

 

でも退院後に何かあったらすぐに病院に駆けつけるように、とM女医は締めくくった。

私は満面の笑みで、首を縦に振っていた。