蟹退治日記 (神経内分泌がん治療記)

ドイツでの神経内分泌がん治療の日々を通して見たこと聞いたこと考えたことを綴っていきます。

術後の治療を巡って(1)

退院から一週間後、12月も中旬に入る頃。

 

手術で直腸、肝臓の癌はすべて切り取ったのだが、他の部位に癌が潜んでいないかを調べるためのシンチグラム検査(正確にはSPECT)が予定されていた。腫瘍科の医者から検査の前日に顔を出すように言われた。彼らが私の術後の治療を担当するのだ。妻は私を病院に送りがてら、話し合いにも同席してくれた。

 

私は治療計画の確定はシンチグラム検査の後だとばかり思っていたのだが、腫瘍課のK医師は抗がん剤をやりましょうと言う。リンパ節に癌が転移しているので、シンチグラムの結果がどうあれ抗がん剤を始めるべき、それも早い方が良いという事だった。

 

私も妻もショックを受けた。というのも、術後にM女医からもたらされた情報は至ってポジティブなものであり、すぐにでも抗がん剤が必要となる状況だなんて考えてもみなかったからだ。そういえば、癌が見つかった当時の検査結果でもリンパ節への転移は報告されていた。放射線治療で癌は小さくなっても、リンパ節はそのままだったということか。そして、K医師が治療を急ぐのは状況が悪いからなのだろうか。

 

手術前に抗がん剤を受けた時は、予定の半分で切り上げるはめになった。白血球の数が著しく減ってしまい、長く回復しなかったからだ。それを考えると、やりましょうと即答はしかねた。私としてはあくまでシンチグラムの結果を待ってから抗がん剤の話をしたいと答えた。結果が出るまでの数日を無駄に費やす事になるとしても。

 

話し合いの後、私と妻は入院棟へと向かった。そこの婦長のDさんから退院後に必要な鎮痛剤やストーマ装具を都合してもらう事になっていた。Dさんに先ほどの腫瘍科での話を伝えているうちに悲しくなってきたのか妻は泣き出してしまった。Dさんは妻を抱きしめて、M女医に状況を確認してみますね、と言った。

 

今更その点を確認したって状況は変わりっこないだろう、と私は考えていた。

しかし、私は間違っていた。それが分かるのは、その次の日の事だった。

 

術後の治療を巡って(2)に続く。