蟹退治日記 (神経内分泌がん治療記)

ドイツでの神経内分泌がん治療の日々を通して見たこと聞いたこと考えたことを綴っていきます。

坊主頭

9月中旬。抗がん剤を受けてから約2週間経って、その日は来た。

 

副作用で髪の毛が抜けるというのは知っていたが、抗がん剤後しばらくしても何の影響もない。もしかしたら私はその副作用を免れたかと思った。しかし、その日シャワーを浴びて愕然とした。洗髪時に髪の毛がドサッと抜けたからだ。

 

脱毛スイッチが入ったかのようだ。排水溝には抜けた髪の毛が積もり、不気味な眺めとなっていた。指で梳くと、ごっそりと髪の毛が抜ける。まるでホラー映画だ。

 

抜けた髪の毛は全体の2割程度かもしれないが、それだけ抜ければ見た目にもはっきりわかる。頭皮が透けて見え、何やら痛々しい感じがする。この日が来たらどうするかは、ちゃんと心に決めていた。私は妻を呼び、バリカンで坊主頭にしてもらった。

 

もう10年以上、私は妻に髪を切ってもらっている。妻は理容師でもなんでもないが、それだけやっていれば円熟味さえ出てくる。去年あたり、散髪時に「あら、ちょっと薄くなってるわよ」と妻からは言われていた。禿げ始めているのだ!

 

男として生まれた以上、そういう事もあるだろう。運命だ。仕方がない。その時に私が心に誓ったのは、すだれ頭だけはやめよう、禿げたら潔く坊主頭にしよう、という事だった。今回の抗がん剤の副作用で、そのタイミングが早まったわけだ。

 

実は坊主頭は初めてではない。中学生の頃がそうだった。校則だったのだ。当時でもアナクロな校則で、私が卒業してから1-2年後にはその校則も撤廃された。私は最後の坊主頭世代なのだ。高校生になり坊主頭を卒業した時はとても嬉しかった。というのも私の頭の形はいびつで、坊主頭が似合わなかったからだ。

 

それから30年経っての坊主頭である。

年を取って頭の形が良くなるなんて事は無い。今でもいびつだ。それでも、私の第一印象は「そう悪くは無いな」というものだった。似合っているとか風采が上がったというわけでは決して無い。しかし自意識の塊のような中学時代とはわけが違う。容姿はもはや最重要事項では無い。よっぽど酷くなければOKだ。おじさんになると生きるのが楽になる。

 

子供達にも坊主頭はウケた。特に息子は大笑いで私の頭を撫でまくった。面白くなって坊主頭の写真を実家の家族に送ったところ、母親からは「カッコいい。歌舞伎役者みたいよ」という褒め殺しのメールが来た。子供が40歳半ばになっても親の欲目というのはあるのだなあと可笑しくなった。