蟹退治日記 (神経内分泌がん治療記)

ドイツでの神経内分泌がん治療の日々を通して見たこと聞いたこと考えたことを綴っていきます。

天国まであと三歩 (2)

天国まであと三歩(1)の続き。

 

右腕をバシバシと叩かれているのに気が付いた。誰かが目を開けろと言う。

どれくらい意識を失っていたのか分からないが、まぶたを開くと医者3人と看護婦2人が、私のベッドを囲んで立っていた。医者の一人は私の右腕を叩いて静脈を探していたらしい。ちょうど点滴用の針を射しているところだった。急ぎの仕事なので、そこらに血が滴り落ちた。そして両腕に点滴が打たれた。

 

体に力が入らない。そのせいか息苦しい。医者は「目を開けて」と何度も言う。力を抜くとすぐにまぶたが閉じてしまう。でも意識ははっきりしてきた。周りで医者たちが交わす会話を明確に理解できた。血圧80/50です、と看護婦が言う。私は血圧が高めで、今朝は130/90だったのを覚えていた。こんなに血圧が下がったことは未だかつて無い。

 

もしかしたらこのまま死ぬのだろうか、とも考えた。癌の治療が原因で死ぬなんて、本末転倒ではないか。家族に会えずに死ぬのは嫌だなと思った。このまま幽体離脱したり、思い出が走馬灯のように駆け抜けたりするのだろうかとも考えたが、幸いにしてそんな事は起こらなかった。

 

医者がどんな気分か言ってくれというから、息苦しいこと、力が入らないことをたどたどしく説明した。そのうちにだんだん力が戻ってきた。看護婦が、脈と血圧が正常に戻りつつある事を告げる。意識が戻ってから10分も無かったと思う。

 

医者が、もう大丈夫だと言う。私はほっとした。皆もほっとしただろう。人心地ついて、点滴を受けてから体が冷たくなったこと、それから力がどんどん抜けて、意識を失った事を改めて医者に説明した。そして、冷たい点滴は嫌だ、室温に戻すか点滴スピードを下げてくれとお願いした。(結果的にそれ以後点滴スピードは落とされ、私は長時間点滴を受ける事になった)

 

医者は点滴の冷たさが問題では無く、抗がん剤の副作用とにらんでいた。吐き気止めによる反応かもしれないとも言った。乱暴な言い方をすれば、理由は何だってあり得る、という感じだった。当たり前だが、医者だって全てわかっているわけでは無いのだ。

 

結局、その日の抗がん剤は取りやめとなったが、午後遅くには放射線治療 に行った。治療を終えて病室に戻ると、Gさんが「いやあ、あんなの見たことないねえ」と言う。「5人の医者や看護婦があんたを囲んで大騒ぎだよ」となんだか楽しそうだ。きっと、ショーとしては面白かったに違いない。ああ、この人に命運を託さずに、自力で助けを叫んで良かったな、と私はしみじみ思った。

 

果たしてどれだけ危険な状況だったのか私にはよく分からないが、自分の生涯で一番死に近づいた数分間だったと思う。死までもう一歩、と言うとオーバーかもしれないが、三歩くらいまでは近づいたろう。エディー・コクランの曲のタイトルを借りれば『天国まであと三歩(Three Steps to Heaven)』だ。

 


Eddie Cochran Three Steps to Heaven - YouTube

 

もっともこの曲で歌われる天国=Heavenとは、死後の世界ではなく、女の子とラブラブな、極楽状態の事を指している。どうせ行くなら、私もそっちの方が良い。