天国まであと三歩 (1)
8月下旬。治療入院二日目。
Gさんのイビキのせいで寝不足気味ではあったが、7時頃には目が覚めた。天気は良く、外はすっかり明るい。病室の窓もドアも開け放して、新鮮な空気を入れた。
ベッドでごろごろしているうちに看護婦さんがやってきて脈拍や血圧を計る。抗がん剤の副作用か吐き気があるので、それを看護婦さんに告げると、すぐに吐き気止めの点滴を持って来てくれた。
左腕に針が刺され点滴が始まった。横になっていると、隣のベッドでやはり点滴を受けているGさんが昔話を始めた。戦争直後、彼の子供時代の話だ。相槌を打ちながら興味深く聞いていたが、だんだん左手が冷たくなるのを感じた。
その冷たさはゆっくりと腕から肩まで上がり、心臓に近づいてくるように感じた。Gさんの話に集中することが難しくなってきた。そして息苦しさを感じると同時に全身から力が抜け始めた。
コレハ、ヤバイ。
よく分からないが、良くない事が起こっている。
人を呼ばねば、と思った。それも大至急だ。
手元にあるリモコンで看護婦の呼び出しボタンを押す。しかしボタンを押したからといって、直ちに駆けつけてくれるわけでは無いと知っていた。昔話を続けているGさんの話をさえぎり、「すぐに看護婦を呼んで下さい」とお願いする。「何かがおかしいんです」
Gさんはとっさに状況が呑み込めないようだった。「すぐに看護婦を」と繰り返すと、のろのろと彼のリモコンで看護婦の呼び出しボタンを押した。それじゃダメなんだ。「外に出て、人を呼んでください!」と何とか声にしたが、Gさんは老人だ。彼が身を起こすスローモーな動作を見て焦った。その上、彼は点滴につながれているのだ。彼には無理だと悟り、絶望的な気持ちになった。
これでは間に合わない。すでに意識が遠くなりかけている。
幸いにして病室のドアは開いていた。力を振り絞って何度か叫んだ。
「誰か来てください!」
「助けて!」
そして意識を失った。