蟹退治日記 (神経内分泌がん治療記)

ドイツでの神経内分泌がん治療の日々を通して見たこと聞いたこと考えたことを綴っていきます。

ひとくぎり

前回も書いたようにまだ排便機能障害に悩まされていますが、3月2日付で職場に復帰しました。幸いなことに私はホームオフィス勤務です。通勤がないので、排便機能障害でもなんとかなります。常にトイレの半径10メートル以内ですからね。

 

病気になる前はホームオフィス勤務7割、出張3割という感じで、私の業務における出張の割合は大きなものでしたが、さすがに今の体調で出張は無理なので、会社にはしばらくは出張無しという事で了承してもらいました。ありがたや。

 

また、復帰にあたっては上司や多くの同僚から暖かく迎えてもらいました。厄介な病気になってしまったものの、職場には恵まれたとしみじみ感じています。恵まれたと言えば、家族もそうですね。とりわけ妻には思いっきり支えてもらっています。彼女の存在がなかったら、私はここまで強くはなれなかった。そういう意味で私は幸せものです。

 

これまで、このブログでは治療の日々に見たこと、感じたことを綴ってきたわけですが、職場復帰を持って一区切りとし、実質的に終了という事になります。

 

おそらく今後もぽつりぽつりと更新はしますが、今までのスタイルとは違って、定期検査の結果や排便障害の状況などを淡々と記録していくものになると思います。どちらかというと同じ状況にいる方々への参考情報です。私自身いろんな方の治療記・闘病記を参考にさせてもらっており、自分の情報も誰かの役に立つ事もあるかもしれないと考えています。もし今後、再発・転移があれば治療日記第二章開始という事になるでしょうが、そうならない事を願います。

 

とは言え、私はこのブログを楽しんで書きました。辛い状況でも、ブログに書く過程で一歩か二歩引いて物事を見てみるとユーモラスな側面があったりして、救われた気持ちになったりもしました。そして、このブログを読んでくれた皆さんからのコメント、星にはとても元気づけられました。何人かの方とは日本で会う約束もしていて、完全復活のための大きなモチベーションになっています。いつになるか分かりませんが、絶対に実現しますからね。

 

と言うわけで、今までこのブログにお付き合いいただき本当にありがとうございました。実質終了という事で、ひとまずのお礼を。今後は(長らく放置している)『青い西瓜の日々』に戻って、また雑文を書こうかと思っていますので、そこでもよろしくお願いします。

 

春よ来い

(注:タイトルに反してシモの話です)

 

直腸を失うと排便障害という後遺症に直面する。

  • 頻便:一日に何度もトイレに行く
  • 便意切迫:便意を感じたらすぐにトイレに駆け込まないとアウト

これらの問題の結果、トイレに間に合わなければ便失禁という事になる。私は今までのところ便失禁はなんとか免れているが、頻便と便意切迫には現在進行形で苦しめられている。

 

私のストーマ閉鎖手術後一週間のトイレ回数は3-4回/日で、これくらいで済むなら嬉しいなと思っていたのだが、二週間目に突入したあたりから15-20回/日に跳ね上がった。腸がまともに機能し始めたタイミングなのだろう。現在三週目だが、ペースは変わらない。酷使された肛門はヒリヒリと痛む。じきに痔になりそうな勢いだ。

 

そして便意を我慢をすると激痛が肛門に走る。まるで肛門が攣るかのような痛みで、よろよろとトイレに駆け込む事になる。似たような症状に突発性肛門痛というのがあるのだが、私の場合は痛みの引き金が便意という事ははっきりしている。この痛みに何度もやられると体力的にも精神的にも、すっかり消耗してしまう。

 

というわけで、このところトイレから離れるのが怖くてすっかり引きこもりになってしまったし、痛みで鬱々としているせいで笑いも減ってしまった気がする。

いかん、いかん。

 

この後遺症は術後半年くらいで落ち着くと一般的には言われているようだ。但し、ネットで調べる限り個人差も結構あって、3か月くらいで普通に生活できる人もいれば、2年経っても改善せず、ストーマ人工肛門)にするかどうかで悩んでいる人もいる。

さて、私の場合はどうなるだろう?

 

早く春が来て欲しいものだ。

約束

  • 入院七日目

典型的な病院の朝ご飯。これにチーズがついたりハムがついたりもする。夕ご飯もほぼ一緒で、暖かい食事が出るのはお昼のみ。

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天気が良い日が続く。病院の外もぶらつきたいのだが、不意に便意に襲われるのが怖い。念のため下着の中にパッド(大きな生理用ナプキンのようなもの)を入れてはいるが、それはあくまで失禁時のダメージを防ぐものだ。失禁自体を避けたい私は、トイレからは遠く離れられない。また、トイレの支配下だなあ、と憂鬱になる。

 

その日は夕方に集中的にトイレに駆け込むことになった。用を足して手を洗っていると急な便意でまた便座に逆戻り、という感じ。肛門の痛みが辛いので、看護婦さんから軟膏を貰ったが、たいして楽にはならない。

 

  • 入院八日目:退院

朝の回診で、本日退院して良しと言われた。ネットで調べる限り日本でのストーマ閉鎖手術の入院日数は2週間が目安らしい。それと比較するとスピード退院だ。ありがたい。いそいそと荷物を詰めて、お昼には家へと帰った。

 

犬たちの熱い歓迎を受けて、家族みんなでご飯を食べて人心地つく。病室でごろごろしても面白くもなんともないが、家だと心地よくごろごろ出来る。いくらでも。回復にもはずみがつくに違いない。

 

ソファで横になっていたら、米国人の同僚から電話が入った。彼とは奇妙な縁がある。20年以上前の話だが、日本で一緒に働いていた事がある。それから彼はアメリカに戻り転職し、私はドイツに移り転職し、結果的に前とは違う会社でまた一緒に(それぞれ米・欧の現地法人で)働いている。世界は狭い。単に我々のいる市場が狭いだけなのかもしれないが。

 

彼は思い詰めた声で、先日癌宣告されたことを私に伝えた。まだ詳細な検査は進行中だが、あと何年の命かと考えると夜も眠れないと言う。妻以外に癌の事は打ち明けていないとの事で、誰か話す相手が欲しかったのだろう。聞いてあげるだけで、楽になるようだった。実際のところ私にアドバイスできることなんて無いのだが。

 

最後はお互いを励まし、幸運を祈りあった。ここでも「今度、一緒にご飯を食べような」と約束する。アメリカかドイツか日本か知らないが、どこでもいい。それも5年後には「あの頃は大変だったな」と笑いあおうという事になった。ぜひとも実現させなければならない。

キレ

<注:シモの話です>

  • 入院五日目

朝の回診時、医者と看護婦におならが出たことを大々的にアピールした。ならば流動食はOKという事で、お昼に香草のクリームスープとプリンが出た。やれ、嬉しや。食事らしい食事をするのは三日ぶりなのだ。

 

そして午後の遅くにベッドでごろごろしていたら、お腹もごろごろ言い始めた。便意というほどはっきりしたものではないが、念のためにトイレに行ったら便が出た。ほんのちょっと。でも、これは腸が再び動き始めたという重要なしるしだ。

 

これで退院ももうすぐだ、と喜びながらお尻を拭いていたのだが、何枚もトイレットペーパーを消費するはめになった。キレが悪いのだ。三か月のブランクでお尻がなまってしまったのか。現役時代を思い出せ、「虎の眼」を思い出すんだ!(ロッキー風に)

 

その晩はもう二度ほど便が出たのだが、キレの悪さは相変わらずだ。トイレットペーパーに拭かれまくった肛門はヒリヒリと痛み始めた。

 

  • 入院六日目

朝の回診時、医者と看護婦に便が出たことを大々的にアピールした。もしかしたら即退院できるか?と期待したが、もう2,3日は様子見との事。ストーマを閉じた傷口は結構な確率で化膿するらしく、それで医者も慎重になっているようだ。

 

お昼ご飯はマカロニ。味はイマイチだが、ようやく歯ごたえがある食べ物を口にすることが出来て嬉しい。

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午後には私の病室に患者が一人運び込まれた。70歳くらいの大柄な老人で、ベッドから動けないようだ。看護婦を呼びつけて「コップに水をついでくれ」と言い、それを飲みもしないうちに、すぐさま看護婦を呼んで同じ事を言う。何度も同じことをするので、看護婦も切れかかっていた。「必要ないのに何度も呼ばないでください」と声を荒げる。彼女は他にやることが沢山あるのだ。しかし、老人の反応はぼんやりとしている。後で知ったのだが、彼は老人ホームから担ぎ込まれたとの事だった。おそらく認知症なのだろう。

 

そのナースコールの合間、彼は妻に電話をかけた。何度も。なぜ相手が妻と分かったかというと、スピーカーフォンで会話していたからだ。毎日この調子なのか、妻の対応はいかにも彼をあしらっているという感じだった。皆、やるべき事があるのだ。

 

彼、彼の妻、看護婦さん。誰も悪くないし、誰の責任でも無い。ただ、こういうのを見ると、病気というのは、老いというのは哀しいなあと思う。

 

その日は4回ほどトイレに行った。そのたびにお尻の痛みは酷くなる。でも、今から思えば、それはほんの始まりに過ぎなかった。

チューブ

  • 入院四日目

お腹から出ているドレナージのチューブを抜いてくれるよう看護婦さんに交渉した。それが痛みの元凶と考えての事だ。看護婦さんが医者を連れてきて、医者はドレナージの様子から抜いても良いと判断してくれた。

 

抜くときは痛いだろうなあと思ってドキドキしながら歯を食いしばっていたが、痛みはそれほどでもなかった。チューブが抜けると同時に、ぷすーっとお腹から空気が抜ける音がしておかしかった。風船みたいだ。

 

ほらね、って感じで看護婦さんが抜いたチューブの先を見せてくれる。長い。5cmほどお腹の中に入っていたようだ。体を動かすとえぐるような痛みがあったのは、このチューブが内臓をぐりぐりとかき回したからだろう。

 

たかだか5cmのチューブでお腹をかき回されてあんなに痛むのであれば、切腹だとどれくらい痛むのだろうと考えた。恐ろしい死に方だ。そして、恐ろしくマッチョな死に方だ。マッチョマンにとってはああいう死に方がロマンなのだろうが、私は結構。

 

これはマッチョメマン。マッチョメ、マッチョメ!

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チューブが抜けると立てるようになった。軽い散歩なら大丈夫そうだ。手術跡の痛みはあるが、痛み止めを飲んでおけば我慢できるレベル。これでトイレにも行ける。

 

夕方に空腹をこらえてお茶を飲んでいると、お腹がゴロゴロ言い出した。これはいよいよ来るかと待ち構えていたが、なかなか来ない。夜になってようやく、ぷすっ、と控えめなおならが出た。これは良い便り。明日からスープくらいは食べられるかな、と考えるとさらにお腹がすいて、その晩はなかなか寝付けなかった。

 

ストーマ閉鎖手術

  • 入院三日目

手術の日。朝9時に準備室に運び込まれた。去年11月の手術では膀胱カテーテルを抜くときに非常に痛い思いをした。それで今回は看護婦さんに、出来ることならカテーテル抜きでやってくれとお願いしておいた。果たして要求は通るだろうか?

 

それからはまた麻酔のマジックだ。準備室で麻酔を打たれたと思ったら、Wachraumで目を覚ました。Wachraumは「目覚めの部屋」という意味で、術後は目を覚ますまでここに置かれる。手術は2時間程度だったようだ。

 

ストーマ人工肛門)すなわち私の回腸は再びつなぎ合わされ、お腹の中に収められたわけだが、その切りたて・縫いたての手術跡が痛む。看護婦さんに伝えると、痛み止めの点滴を打たれてそのまま眠ってしまった。

 

次に起きたら自分の病室に居た。そして傍には妻がいた。病院側から手術完了の連絡が飛んだのだ。手術の成功を喜び合う。

 

自分の体を点検すると、お腹からチューブが一本出て小瓶につながっている。ドレナージという腹腔内の余分な体液を排出するものだ。幸いにして膀胱カテーテルはついていない。要求が通ったのだ。

 

夕方になりお茶が出た。昨晩から水も飲めなかったので、これは嬉しい。でも、食事は当分なし。点滴での栄養補給も無し。お腹が減る。

 

看護婦さんがやって来て、立てるかと尋ねる。身を起こそうとすると、お腹のえぐられるような痛みで悶絶した。これでは立てない。看護婦さんはドレナージのチューブのせいかもしれませんね、と言う。でも今は抜くわけにはいかないらしい。

 

ベッドの上で手術跡を眺める。ストーマも無事に閉鎖できた。これまで長かったなあ、と考える。でも、まだ全然終わっていない。これからすぐ後遺症に直面することになるだろう。直腸が無いので排便障害が起きる。いずれ落ち着くとM女医は言うが、術後6-9か月は大変だろうから覚悟しておけとも言われた。

 

まあ、それは次の問題。さしあたっての問題はおならだ。これが出なければ何も始まらない。食事も便も退院も、全てはおならの後だ。「おならあれ!」と私は心の中でつぶやいたのだが、それが実現するのはもう少し後である。

術前検査(2)

  • 入院二日目

大腸鏡検査の日は腸の洗浄で始まった。通常ならば下剤を飲むか、浣腸をするか、というところだが、今回はストーマ人工肛門)から下剤を注入するというアクロバティックな方法だった。

 

注入する場所が大腸の手前なので即効性がある。10分も経たぬうちにトイレに駆け込む。そして念のために、という事でもう一度下剤投入。すぐに胃が痛くなってきた。看護婦さんに伝えると、下剤を立て続けに入れたからでしょう、と言う。なるほど、そういう影響もあるのか。しかしそのような知識が得られたからと言って何の救いにもならない。痛みをこらえながらベッドごと検査室に運ばれた。

 

そして検査直前に注射器で麻酔が打たれる。今まで何度か検査や手術で麻酔を打たれたのだが、今回こそはどの時点で意識を失うのか見極めてみよう、と思って麻酔針をじっと見ていた。次の瞬間には私は自分の病室に居た。

 

とっくに検査は終わり病室に運び込まれていたのだ。まるでビデオ編集の如く、検査時の意識と痛みはしっかりと選択・削除されている。あらためて凄いと思う。麻酔というものは人類が手にしたテクノロジーの中でも最良のものの一つだろう。

 

なんて事を考えているうちに昼食の時間になった。オムレツ、マッシュポテト、サラダ。美味くは無い。しかし、しばらくまともな食事は摂れない可能性もあるので、しっかり食べておく。

 

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検査結果をじりじりと待っていたところ、夕方になってようやくP医師がやってきて「明日手術です」と告げた。どうも腸の狭くなっていた部位は大腸鏡では見つからなかったようだ。問題無く大腸鏡が通ったので、腸が物理的に狭くなっているわけでは無いらしい。たまたまレントゲン撮影の時に腸が捻じれたりしたのだろうか?よく分からないが、手術が決まったのは嬉しかった。

 

その晩はiPhoneに入れておいたラジオドラマ『羆嵐(くまあらし)』を聴いた。これは『三毛別羆事件』を題材とした吉村昭の小説『羆嵐』を倉本聰の脚本でラジオドラマ化したものだ。古い作品だが聴いているうちに怖くなって途中で止めてしまった。

手術前夜に聴くべきものではなかったと反省している。

 


ラジオドラマ「羆嵐」 - YouTube