タクシー・ドライバー
九月の前半はひたすら放射線治療に通うだけの日々だった。
前回書いたように通院にはタクシー送迎サービスを使った。そして何人かの印象的なタクシー運転手に出会う事となった。
- Iさん。女性、50代後半
この人には何度か送迎してもらった。温和な、のんびりとした話し方をする人で、好感が持てた。ドイツにはWDRという国営ラジオ放送局があり、そこでは良く古いヒット曲がかかる。彼女は音楽が好きで、常にその局を聴いていた。そして好きな曲がかかるとラジオに合わせて歌うのだが、これが見事なまでに音階というものが無い、念仏唱法であった。
寺尾聰や細野晴臣も念仏的な歌唱スタイルだと思っていたが、彼女の徹底したフラットさに比べると十分山も谷もあるのだ。
彼女はマンフレッド・マンのDo Wah Diddy Diddyを歌った。あの小粋なロックンロールが念仏化するのを目の当たりにして、私はロックの新しい地平を見た気がした。
- なんとかさん。男性、50代半ば
タクシー運転手として10年以上働いているそうだが、道を良く知らないようで、何度も私に「この道であってるか?」と訊いてきた。知らんがな。
ナビを取り出すも、古いせいか全く使い物にならない。あげく道を間違え、客である私の前でも「シャイセ(糞)」を連発する。他に向いている仕事もあるだろうに、と考えずにはいられなかった。
- Dさん。男性、70歳
陽気な老ドライバー。車中ラジオを聴いていたら『ブルーベリー・ヒル』がかかった。これ誰だっけ?と彼が訊いてきたので、ファッツ・ドミノだと教えてあげたら気に入られたようで、いろいろと語りだした。先日70歳になったこと、リウマチの持病があること、奥さんとのなれそめ、子供の仕事先など、履歴書以上の情報を並べた。
70歳の誕生日に息子からプレゼントに貰ったスマートフォンを使い、SNSも楽しんでいるとの事だ。「その年齢で凄いですね」と言ったら、「こういうのも入ってるんだぜ」と、得意げにポルノ動画を再生し始めた。
映画『タクシー・ドライバー』で、デ・ニーロ演ずる主人公が、初デートで女性をポルノ映画に連れて行く。主人公の壊れっぷりを示すエピソードだ。あの映画ではニューヨークという街の怖さみたいなものが良く描かれていたが、我が田舎町も実はニューヨークに劣らずワイルドなのではないかと、この老ドライバーを見て思った。