腹巻
今年の春ごろから腹巻を着るようになった。
腹巻と言っても、寅さんやバカボンパパが着ているような昭和フレイバー溢れる見せ腹巻では無く、肌着として着るタイプ。
腹巻は欧米圏でも売られていて、ドイツ語ではNierenwärmer、英語ではKidney Warmerという。どちらも「腎臓を温めるもの」という意味だが、なぜ腎臓ピンポイントの名称なのかはよく分からない。こちらで腹巻を探す際に適切な言葉が分からず手間を喰った。(結局ドイツのAmazonで買った)
なぜ腹巻かというと、去年11月の開腹手術(直腸切除)の傷跡が今も痛むからだ。物凄く痛いわけでは無い。しかし刺激に対して敏感で、衣服が擦れるとちくちくと痛む。これがかなり不快なのだ。腹巻だって傷跡に触れるわけだが、密着しているためか刺激はだいぶ抑えられる。
もちろん夏場の暑い日には腹巻は鬱陶しく感じられるが、ドイツの夏は涼しい日が多いので十分耐えられる。しかし先日休暇に行ったギリシャは違った。暑さに容赦がない。何せ連日の35度超えである。湿度が低いので、日蔭・室内でじっとしていればなんとかやり過ごせるが、腹巻のあたりはさすがに汗でじっとりだ。
気持ち悪いので腹巻を脱いでみた。しばしの清涼感。しかし、すぐに傷跡のちくちくした痛みに悩まされる。替えは持ってきていなかったので、汗で湿った腹巻を再度着ることにした。うへ。
結局、酷暑のギリシャを腹巻で過ごした。Tシャツ、短パン、サンダルと、一見涼しげな服装をしてはいても、人目のつかぬところで腹巻が私のボディをヒートアップしていたのだ。汗がだらだら流れても、「コレデイイノダ」とマントラを唱えてやり過ごした。
果たして腹巻を脱げる日は来るのだろうか。
晴れのち曇り
つい先日、仕事に復帰して以来初めての出張に行ってきた。私の住むドイツ西部からドイツ南部にある本社へ、たかだか飛行機で一時間なのだが、家を出て目的地に着くまでなんだかんだで五時間はかかる。頻便が多少落ち着いてきたとはいえ、不安はあった。
結果的には万事OKで、移動中にも、二日間の会議の間にも、便意に悩まされることは無かった。それはずばり便秘になったせいである。おそらく頻便の不安が腸にも伝わったのであろう。おかげで仕事もスムースに行き、懐かしい同僚達との再会を心から楽しむことが出来た。
しかし、帰宅後直ちにその反動がやってきた。
腸の調子がすっかり狂ってしまったようで、ひたすらトイレに通うはめになってしまったのだ。20回近くもトイレに駆け込んだ日もあった。(すごく辛かった)
このところ落ち着きを取り戻しつつはあるが、出張前と比べるとまだ多い。折角トイレの回数が減ってきたと喜んでいたのに、元の木阿弥という感じだ。
同じようなタイミングで天気も崩れてしまった。それまでは晴れ続きでドイツの美しい夏を堪能していたのに、このごろはずっと曇り、時々雨というところ。そうなると気温はぐっと下がり、朝方は10度を切ったりもする。
寒い。そして滅入る。
もしかしたら7月には出張がらみで日本に行けるかも、そこで会いたい人たちにも会えるかも、などと密かに考えていたのだが、今回の件ですっぱりあきらめた。たかだかドイツ国内の出張で体調が狂ってしまうのだから、日本出張なんてまだまだ無理なのだ。やはり、あせらず、気長に体調を戻していくしかない。
さて、こんな体調なので犬の散歩も淡泊なものになってしまった。歩く距離が短くなり、犬たちは物足りない様子。
もっと散歩に連れていけと熱い視線を送るお方。
あきらめムードのお方。
また、晴れますように。
中間検査
現在抗がん剤を受けているのだが、その効果を見るための中間検査が先日あった。超音波検査と血液検査。検査結果によると腫瘍は若干小さくなり、腫瘍マーカー値も下がっていた。医者曰く、期待していた通りの効果が出ており、抗がん剤は継続するとの事。方向性は間違っていなかったようで、まずは一安心。この調子でがんの勢いを無くして、次の治療につなげなくては。
私の受けている抗がん剤はカルボプラチン+エトポシドというものだ。1クールは月に三日。一日目は4時間、二日目と三日目は2時間かけて点滴を受ける。それを6クールで合計6か月。外来で済むので助かる。
私の場合、副作用は抗がん剤を受けて2-3日後に出てくる。初回はかなりきつかった。38度を超える熱が出て、頭痛や軽い吐き気があり、倦怠感が凄かった。何もやる気がせず、丸一日ベッドに横になって過ごした。しかし2クール目はびっくりするくらい軽くなった。今週3クール目を受けたのだが、今回も熱は無し、軽い倦怠感があるくらいで、日常生活に大きな影響は無い。見た目に分かる副作用はハゲくらいなものか。ヒゲも抜けてかなりつるんとしてしまったが、眉毛はしぶとく残っているのがありがたい。頑張れ、眉毛。
このところドイツもようやく夏っぽくなってきた。
日が長くなり、暖かくなった。
陽を浴びながら散歩していると、体に力が満ちてくるような気がする。
そう、その調子。
もう一つの問題
<注:シモの話です。自己責任で。>
前回の記事では直腸切除、ストーマ(人工肛門)閉鎖後の頻便問題を取り上げたが、もう一つ厄介な問題があるのでついでに書いておく。
それはおならだ。
長くストーマをしていると肛門の括約筋が弱くなる。それでストーマ閉鎖後におならが我慢できずに出てしまうという人が少なからずいるようだ。私の場合はストーマ期間は三ヵ月間と短いこともあり、括約筋は大丈夫だったのだが、おならを我慢すると肛門のすぐ奥の部分が酷く痛むようになった。おそらく腸の吻合部分がガスの圧力を受けて痛むのだろう。この痛みが何度か続くとぐったりする。そして痛みを回避するにはそのままおならを出すしかない。
家に居る限りはそれで良いのだが、問題は外で人と会う場合だろう。仕事の打ち合わせや会議中におならが出てしまったら、なんて考えただけで冷や汗が出る。恥じらいというものがなくなってきた中年男性の私ではあるが、悟りの境地に達したわけでも無いのだ。
つい先日、病院で受付の列に並んでいた時の事だが、ふいにおならの予感があった。後ろには人が並んでいる。肛門を引き締めおならを我慢することにしたのだが、やはり痛みに襲われた。辛い。ちょっとだけでもおならを出して痛みを軽減しなくては、と思い肛門を緩めたら、「ぱぴっ」という音が出てしまった。とっさに後ろを振り向いて「すいませんね」と微笑んだつもりだが、アルカイックスマイル的なものになっていたかもしれない。私の後ろに立っていたのはおじいさんで、私を無表情に見返していた。受付が終わるまでちょっと気まずかった。
手術の後遺症というのは色んな形で出てくるものだ。もちろんおならなんて、生き死にの問題に比べれば些細なものだが、当事者にしてみればそれなりに切実な問題ではある。これからは人に気づかれない放屁、ステルス屁の研究に励もうかと思う。
トイレ日記
(注:タイトル通りシモの話。直腸を切った人、これから切る人に向けた参考情報です。)
直腸を切ってストーマ(人工肛門)にして、それからしばらくしてストーマを閉鎖して、排便機能障害でトイレに何度も通うハメになって三ヵ月経つ。
トイレの回数が落ち着くまでには6か月から9か月はかかるから気長にね、と医者からは言われていたのだが、本当にちょっとずつしか良くならない。揺り戻しもあったりしてめげそうになる。でも記録をつけている事で、三か月前と比べたら間違いなく良くなっていることは判る。
これが約90日にわたるトイレ回数の記録。
青い棒が一日のトイレ回数。日によって変動が大きいので7日間の移動平均値をグラフに重ねてみた。それが赤い折れ線。
ストーマ閉鎖直後の7日間のトイレ回数平均値は約15回。最近はそれが約7回にまで減ってきた。とは言え、それはあくまで平均値。5回の日もあれば、その次の日には15回に跳ね上がったりもする。一日に10回以上トイレに行くと、肛門が悲鳴を上げる。もちろんそれは比喩で悲鳴を上げるのは私だ。実際には呻くという方が正しい。温水洗浄便座(最近買った。TOTOはドイツでは売られてないので類似品)やウェットティッシュを使ってもこれは辛い。また排便時に腸の吻合部が痛むときもあり、便座の上で脂汗をかき頭を掻き毟ったりもする。そして、そんな苦しい日は少しずつ減りつつある。
グラフにもあるように、ストーマ閉鎖から一か月くらいまでは割と早いスピードで回数が減ったのだが、4月初旬(グラフの45日目あたり)に抗がん剤を始めてからトイレ回数がまた増えた。抗がん剤の副作用で体調がおかしくなったので、その影響だろう。それから再び回数は減ってきている。5月初旬の抗がん剤ではなぜか副作用が全く出なかった。
私の場合は食べ物とトイレ回数との相関関係はあまりなさそうだ。人によっては脂っこいものを食べると回数が増えるらしい。それである程度注意して食事の影響を見ているのだが、私の場合それが回数に結び付いているようには見えないのだ。逆に言えば変化がランダムなので、予測が出来ないという難しさもある。
直腸切除によりトイレ回数が増えるのは、便を貯めることが出来ず小出しになるからだ。また直腸が無い事で便意をうまく感じ取ることが出来なくなる。これは、と思ったら即トイレに駆け込まないと危ないくらいのタイミングが良くある。私は自宅で仕事をしており、トイレは常にすぐそこなので失禁を経験せずにすんでいるが、電車通勤・通学の人は大変だろう。私は失禁の恐怖のためにひきこもりがちになってしまった。それでも頑張って犬の散歩には出ているのだが、何度も冷や汗をかいた。それが、最近は散歩の距離も伸びつつある。ちょっとは余裕が出てきたようだ。
回復しても以前と全く同じにはなりませんよ、とも医者からは言われたが、一日に3-4回くらいのトイレ回数でおさまってくれれば、そして事前に便意をうまく感じ取ることができれば、以前に近い日常生活をおくることが出来るはずだ。また失禁の恐怖に苛まれず旅行だってできるようになるだろう。
一日も早くそんな日が来ますように。
ハゲとヒゲ
まさかの第二章
4月に入ってすぐ、肝臓に二つの癌が見つかりました。直腸癌からの転移です。
去年11月の直腸癌手術の際に肝転移が見つかり速やかに切除されました。術後すぐのMRI,CT検査ではどこにも癌は見つからなかったので一安心していたのですが、あっという間にまた出てきました。こんなに早くこの治療記の第二章を始めることになるとは、びっくりというかがっかりというか。
前回の手術で肝転移が見つかった時点で今後の再発・転移はある程度覚悟していましたが、それにしても早すぎる。医者によると肝臓で見つかった癌の成長スピードはかなり速く、どちらも直径5センチ程度まで大きくなっているとの事。切除するにはサイズが大きいし、画像診断で見えない小さな癌がまだどこかに隠れているかもしれないので、ここは抗がん剤で癌の勢いを弱めるのが先決だと言われました。
というわけで4月から抗がん剤を始めました。6か月間の予定です。
まあ結構やばい状況で、もしかたら早々に死んでしまうのではという恐怖もありますが、なんだかんだでどうにかなるんじゃないかという気持ちの方が今のところは大きいです。(余命宣告を受けたわけでは無いですし。)
というのも、術後以来少しずつ体が回復しつつある事を実感しているからです。食欲はちゃんとあります。体力も戻りつつあり、3月に復帰した仕事もペースが上がってきました。いまだに排便障害には悩まされていてトイレの回数は多いのですが、排便時の辛さは和らぎつつあります。こんなふうに体調が上向きつつあるのに死ぬなんてことがあるか、と思うわけです。体調が良くなれば治癒力も上がり、癌も勢いを失うでしょうからね。
それは単なる期待やら思い込みかもしれませんが、その思い込みの力を利用してでも生き延びたいものです。実際のところやれることは限られていますし、どうせやるなら泣いてやるよりは笑ってやった方がいいでしょう。
どうも生きるだの死ぬだのと文字にすると重くなってしまいますが、私は至って落ち着いて日常を生きているのでご心配なく。というわけで、これからまた治療の日々について書いていきますので、よろしくお願いします。