蟹退治日記 (神経内分泌がん治療記)

ドイツでの神経内分泌がん治療の日々を通して見たこと聞いたこと考えたことを綴っていきます。

肝臓手術 その後

肝臓手術を終え、退院してから三週間経つ。その間の事を書いておく。

 

<抜糸>

退院から一週間(術後二週間)で抜糸が行われた。正確には縫合に使われているのは糸では無くて医療用ホチキスだ。それを、ニッパーのような器具でペチンペチンと切っていく。大きな傷口が、手術からたかだか二週間でぴったりとくっついていることに軽い驚きを感じる。人間の体って、逞しいんだか、脆いんだか、よく分からない。

 

<腫瘍科の医者との面談>

切除された肝臓部位を病理検査したところ、二つあった癌はいずれも死滅していたとの事だった。抗がん剤がてきめんに効いたのだ。つまり、切らずとも良かったわけだが、切ってみないと分からない事でもあり、やはり手術は最善手だったと言える。CTやMRIでの画像診断にはまだまだ限界があるのだ。

この結果から、私の肝臓には小さな癌細胞も残ってはいないものと予想される。よって、術後の抗がん剤は不要という結論になった。もちろんこれから定期的に検査を受けることになる。再発しませんように。

 

<日常生活>

 犬の散歩や近所に買い物に出るくらいには回復はした。直腸手術の後は背筋を伸ばすことが出来ず、猫背の日々が長く続いたものだが、今回は特に問題無し。まだ動きにスムースさが欠けていて、ヨタヨタと歩いているのだが、じきに良くなるだろう。

 

<頻便>

これは肝臓手術とは関係なく、去年の直腸手術の後遺症である。抗がん剤が終わったら頻便も多少は改善されるかもしれない、と医者は言っていたが、今のところそのような感じは無い。相変わらずトイレの回数は多いし、日によっては肛門に激しい痛みもある。医者にその旨を訴えたところ、直腸手術跡に異常が無いか検査することになった。今週には何か分かるかもしれない。

 

頻便のせいで、基本的にはひきこもり生活ではあるが、先日思い切って映画を観に行ってきた。2015年10月21日。そう。世界中で催されたであろう、BTTF(バック・トゥ・ザ・フューチャー)祭りだ。10歳の息子がとても楽しみにしていたので、頑張って外出してみようという気になったのだ。

映画が始まり『パワー・オブ・ラブ』が流れた時点で、ふいに胸がいっぱいになった。BTTFは何度も観ているが、映画館で観るのはこれが二度目だ。一度目は1985年で、私はまだ高校生だった。それから30年後に、息子と一緒に観る事が出来るなんて。

遅くなったのでPart2の途中で切り上げ、帰りがけにピザを食べて、その日はお終い。ささやかながら楽しい日だった。早く頻便問題を解決して、気楽に外出できるようになりたいものだ。

 

<ハゲ、ヒゲ、マユゲ>

最後の抗がん剤が8月末で、頭髪は少しずつ戻りつつある。坊主頭の伸び始めで、手入れのされていない芝生みたいな格好悪さだが、生え揃うまでにはこのステージを通過せねばならない。ヒゲはすっかり元通りになった。眉毛も少しずつ復活し、お公家さん状態からも脱却しつつある。この調子、この調子。

 

肝臓手術 その3

前回の続き

 

<術後5日目>

食事に果物がつくだけで、豊かな気持ちになる。この日は朝昼晩と苺が出た。

食欲はだいぶ回復して、それなりに食べているのだが、出るものが出ない。管もだいぶとれて、一人でトイレに立てるようになったのに、全くの無風状態だ。下剤を貰ったのだが効果なし。ついに浣腸が起用され、問題の強制的な解決が成された。めでたし。

それから最後の管、首につながっていた点滴が外され、すっかり自由になった。身も心も軽くなった私は病院の玄関口まで散歩に出た。少し肌寒いが、陽光に恵まれた、すばらしい秋晴れの日だった。

 

<術後6日目>

体をねじったり、あくび、咳、げっぷなどをすると手術跡に痛みが走る。逆に言えば、痛いのはその時くらいである。痛み止めもいらないくらいに回復している。

朝の回診時に、そろそろ退院してもよろしいかと医者に訊いてみた。医者も同じように考えていたようだ。あっさりとOKが出て、私は大いに喜んだ。

体調が良くなれば入院生活は恐ろしく退屈なものになる。散歩できる範囲は極めて狭いし、テレビも見るべきものは無い。どうせ横になっているだけならば、くつろげる家の方が良いに決まってる。退屈の質が違うのだ。家での退屈は苦痛では無い。

抜糸のために数日後にはまた病院に来ることになる。世話になった看護婦さん達に礼を言い、またねと挨拶した。

 

これで私の入院生活は終わった。

しばらくは手術や入院とは無縁でいたいものだ。

 

 

肝臓手術 その2

前回の続き

 

<術後2日目>

朝ご飯。

いつになく豪勢な感じがするのは、果物とゆで卵がついているから。

さて、食事が出来るのは有難いが、ものを食べれば、当然出るものもある。小の方はカテーテルがつながっているから良いが、問題は大の方だ。ビッグなビジネスを遂行するにしても、手術直後で、かつ体にはいろんな管がついているので、トイレへの移動はままならない。

看護婦さんにどうすればよいか尋ねたところ、おまる付きの椅子を準備するとの事だった。しかし、相部屋の人もいるのに、おまるでするのは心理的ハードルが高すぎる。困ったなあ、と思っていたら、その日からしばらく便秘になってしまった。おまるを使いたくないという私の気持ちが腸に伝わったのだろうか。病み上がりなのだから、気にせずにおまるくらいバンバン使えばよいのだろうが、そうできないのが私の器の小さいところである。

 

<術後3日目>

朝に看護婦さんがやってきて、尿道カテーテルを抜くと言う。

管が一つでも減るのはありがたいのだが、かなりの痛みを伴うという話を聞いたことがあったので、恐ろしくもあった。看護婦さんは「深呼吸してください」と、カテーテルを手に取り、私は痛みに備えてこぶしを握りしめた。シュッ、とカテーテルは一気に引き抜かれた。

 

痛っ。

いや...全然痛くない!

 

あれは円熟の域に達した技能なのだろうか。無痛で済んだのが嬉しかった私は、満面の笑みで看護婦さんに礼を言ったのだが、「カテーテルを抜いたくらいで大げさな」と言わんばかりに看護婦さんはクールに病室を去って行った。

少し身軽になったので、点滴を外してもらい、入院棟の廊下を散歩した。去年の大腸手術の時は、散歩できるようになるまでには術後から10日もかかった。それと比較すると今回の手術は軽いものだ。

 

<術後4日目>

尿道カテーテルに続き、ドレナージも抜くことになった。ずりゅっ、という内臓とチューブが擦れる感触と同時に痛みが走るが、一瞬の事であり、大したことは無い。その後に、まじまじと手術跡を見る。22針の医療用ホチキスで止められおり、まだ生々しい。私のお腹はすでに手術跡でいっぱいだ。これ以上は勘弁願いたい。

 

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この日の夜には背中に刺さっていた硬膜外麻酔カテーテルが抜けてしまった。麻酔医がやってきたが、予定を繰り上げてそのまま麻酔を停止しようという事になった。そして結果的にそれで問題は無かった。

 

尿道カテーテルもドレナージも麻酔も取れた。残るは首につながる点滴だけだ。凄い速さで身軽になっていく。

 

 続く

肝臓手術 その1

今回の肝臓手術の日々について書いておく。

手術の目的は肝臓内の神経内分泌がんの切除である。

 

<入院:手術前日>

九月末のある日。入院手続きを終えてすぐに、医者から手術に関しての説明があった。肝臓のどの部分を切除するか、どのようなリスクがあるか、と言った具合だ。胆嚢が肝臓の癌部位に隣接しているので、転移リスクを鑑みて、こちらも同時に切除するとの事であった。それから麻酔医との面談。それでその日のプログラムは終了。至って暇だ。

 

ベッドに横になり、普段あまり見ないテレビをつけてみる。『白バイ野郎ジョン&パンチ』の再放送が流れていたので喰いつく。中学生の頃は午後4時からの再放送を熱心に観ていたものだ。主題曲のレコードだって持っていた。しかし今観ると、どうにもつまらないのだ。本気出せ、パンチョレロ。まあ、中学生の頃とは感性が違うのだからしょうがない。 但し、オープニングは今観ても良かった。

 

<手術当日>

11時に手術予定だが、朝8時には準備を済ませて、9時には準備室に運び込まれた。ここで背中にカテーテルを打ち込まれる。硬膜外麻酔というやつだ。そして注射だったと思うが、別の麻酔を受ける。それから目が覚めたら私はICU(集中治療室)に居た。手術は終わっていた。毎回感嘆するのだが、麻酔とは魔法だ。

 

この日はICUで夜を明かすことになる。麻酔の影響か、手術直後はひたすらまどろみの中だ。断続的に眠り、目が覚め、また眠り、夢を見る。時間はゆっくりと流れる。

 

<術後1日目>

経過良好との事で、ICUから入院病棟に戻ることになった。この時にベッド間の移動がある。まずは上体を起こしてから、今いるベッドの縁に座る。看護婦さんから立ってみるように言われる。恐る恐る立つと、めまいはあるがなんとかなった。それから横に準備してあるもう一つのベッドに腰掛けて横になる。移動完了。

去年11月の直腸手術の時と比べて、明らかに痛みもめまいも少ない。これはいける。

 

病室に運ばれてから、自分の体につながっているチューブ類を確認した。

首には二三本、点滴がつながっている。

背中には麻酔カテーテル。痛みがひどい場合はコントローラーのボタンを押して麻酔を増量できる仕組みになっている。

お腹にはドレナージ。体内の余分な血液や体液はここに排出される。

そして尿道カテーテル。見た目が痛々しくて身震いしたが、結果的に言えば、以前の手術で設置した膀胱カテーテルよりも快適だった。横になっている限りは痛みも不快感も無い。

 

この日の昼から食事が出た。消化器の手術ではないので、おならを待つ必要も無い。しかしさすがに食欲が無く、デザートのプリンを食べるのが精いっぱいだった。

 

婦長さんがやってきて、食事に関して何か要望があるか訊いてくれた。和食にしてくれ、まずは梅粥で、と言いたかったのだが、さすがにそれは無理と言うものだ。だから、果物を多めにとお願いするにとどめた。そして、その要望はしっかりと聞きいれてもらう事になった。

 

続く

第二章の終わりとウサギの死

先ほど無事に肝臓の手術を終えて退院してきた。

 

直腸から肝臓に転移した神経内分泌がんの切除手術だ。22針の開腹手術であったが、回復が早かったため、術後6日目にして退院となった。

 

去年の11月に直腸と肝臓のがんを切除したにも関わらず、今年の3月には肝臓に癌が見つかり、治療記の第二章を始めるはめになったのだが、その癌が無くなった今、第二章もこれにてお終いというわけだ。良き哉。

 

二度あることは三度あるかもしれない。高い再発の確率を考えると、全てが終わったと手放しで喜べるわけではない。それでも、とても嬉しい。今回受けた抗がん剤の成功、術後の快癒という経験を通して、もし再発しても、まためげずにやっていけるだろうという妙な自信はついた。

 

そんな嬉しい日に、ウチで飼っていたウサギが死んでしまった。先週、私の入院中にウサギの具合が悪くなり、心配した妻が獣医に診せたところ、病気でも何でもなく、寿命を迎えたのだと説明があったそうだ。7歳を超えた老ウサギなのだ。

 

退院を知らせるために病院から家に電話したら、子供達はわんわん泣いていた。ウサギは今朝、ついに目を覚まさなかったのだ。悲しいに違いないが、子供達は弱っていくウサギに別れを告げる時間を持てた事で、その死を受け入れることも出来たと思う。そんな話を妻としていたわけだが、それこそ巷で良く言われる「がんで死ぬ」事の明るい面と共通するなあと考えていた。

 

死までにそれなりに時間があるので、自身も周りも身辺整理や心の準備ができる。死への軟着陸だ。この考え方には一理あると思う。事故死だとそうは行かない。

 

癌で死ぬのもそう悪くないかもしれないな、なんてふと考えてしまったが、すぐに正気にかえった。そもそもウチのウサギは大往生したのである。まずは私もそれを目指すことにしよう。

 

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前進

九月初旬に超音波、CT、MRIなどの検査を行った。抗がん剤の効果を見るためだ。検査結果を待っていたら、MRIで撮り忘れがあったとの事で再検査。なんだかんだで九月も中旬になってから、ようやく検査結果が出た。

 

抗がん剤カルボプラチン+エトポシド)がうまく効いてくれたようだ。今年の三月に肝臓に二つの癌が見つかった時点では、どちらも直径5㎝程度の大きさになっていた。医者はそれを「プラムぐらいの大きさ」と説明していた。それが今では、どちらの癌も直径2㎝まで縮小しているとの事だった。やったぜベイビー。

 

六月の中間検査結果も良好だったし、トイレ問題を除けば体調も上々なので、良い結果が出ることを予期してはいたが、実際に医者の口から伝えられると安堵の溜息が漏れた。胸の奥深くから出てくるような溜息だった。

 

癌も小さくなったので、次はいよいよ切除手術となる。そのための抗がん剤だったのだ。昨年、私の直腸癌手術を執刀したM女医と久しぶりに面談し、手術についての説明を受ける。今回も開腹手術となるのだが、入院期間は一週間ちょっとで済みそうだ。おそらく十月最初の週末には手術も無事に終わっていることだろう。

 

正直言えば、手術後の痛みやら、カテーテルやら、抜糸やら、考えただけでうんざりするのだが、それは数日間辛抱すれば済むことではある。それで将来を手に入れることが出来るのならば安いものだろう。にっこり笑って手術に臨む事にしよう。

 

ところで、医者から「プラム大」という言葉を聞いて以来、プラムを見ると自分の肝臓にある癌の事を考えてしまう事になってしまった。こんな大きなものが二つも肝臓にあるのかと思うとやはりいい気持ちはしなかった。プラムに罪は無いけれど。

 

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九月の近況

早いもので、去年の7月に癌と診断されてから、いつの間にか一年以上経ってしまっていた。このところブログの更新が滞っていたが、健康上の理由では無くて、仕事の忙しさによるものなので、ご心配なく。

 

さて近況。

 

抗がん剤

半年に渡る抗がん剤治療がひとまず終了した。先ほどCT、MRIなどの検査を終えてきたところ。来週には結果がでるので、医者からは次の治療計画が提示されると思われる。抗がん剤の成果が出ていることを祈るのみ。

 

■ 眉毛

抗がん剤で禿げたのは良いとして、最近は眉毛まで薄くなってきてしまった。地味にショック。これで私もお公家さんの仲間入りだ。

 

■ 頻便

なかなか良くならない。人工肛門を閉じてから半年経った。本来ならばそれなりに良くなっているべきなのだが。人知れず直腸は良い仕事をしていたのだと、失ってみて初めて分かった。人工知能の研究は物凄い速さで進んでいるようだが、誰か人工直腸も研究してはくれまいか。

 

■ 仕事

組織変更で仕事量が増えてしまった。その上、以前と比べてパフォーマンスが落ちたので、仕事一つ片付けるのに時間がかかるようになった。結果的にとても忙しくなってしまっているのだが、時々は周りに甘えながらなんとかこなしている。

 

■ 新たなつながり

私の病気は神経内分泌癌という希少がんなのだが、先日「しまうまサークル@関西」という患者&家族会の運営者の一人であるベティちゃんが声をかけてくれ、このブログへのリンクを貼ってくれた。さしずめ、しまうまサークル@関西ドイツ駐在所である。

いつか京都の患者会にも顔を出したいと思っている。癌が見つかるちょっと前に京都に行っていたのだが、もちろん当時は神経内分泌癌(腫瘍)なんて知る由もなかった。

ところでなぜ「しまうま」なのか?東京を拠点とする患者会のサイト「しまうまねっと」ではこう説明されている。

「ひずめの音を聞いたら、シマウマではなく馬を疑えが定説」でも

シマウマかも?と疑わないと、見つからない病気だからです。

今後は同じ病気を持つ方々とゆるく情報交換などしていけたらと考えている。

ベティちゃん、ありがとう。